これまでも一人時間について書いてきたのは、私自身が「ひとり」でいることを楽しむことが出来るから・・・・ということもあるが、楽しむ前に人と一緒にいることが自分にとっての得意分野ではなかったことが理由に大きい
子供の頃は、それを「欠点」「短所」、悪い時には「欠陥」のように例えられる時もあった
それで何度となく傷ついたりもした
自分自身もそんな自分を恥ずかしく思ったこともある
友達は作らなければならない
友達は多い方がいい
友達がいないのは自分の性格に原因がある
そんなふうに周りも思っていたし、私自身もそんな風に思っていた
けれど、成長していろんなことを経験していくうちに、人付き合いの時間が不毛に感じる時もあった
自分を偽りながらする会話
自分は一人ではないことを周りにアピールするための交友関係
そして、時には悪影響を及ぼす考え方や行為への誘い
仕事をしだして時間がより貴重になっていくと、だんだんと交友関係も絞らなければ自分の時間が持てなくなっていった
また、成長するにつれて自分の好みや興味が持てること、人生観なども意識するようになった
両親には感謝をしきれないほどだが、やはり考え方が違うこと、観点が違うことも明らかになっていった
見かけだけのほとんどの交友関係を苦痛に感じていることが自分の中で明らかになっていった
そして、少しずつだが、だんだんと「NO」が言えるようになってきた
最初はうまく「NO」が伝えられず、衝突してしまうこともあった
今も、うまくできないことがあり、衝突や時には気付けてしまうこともある
そして、自分が傷いついてしまうことも
自分がそう決めたからといって、「NO」と言えない人間関係もある
例えば仕事上での交流
仕事を続けていくためには、敵よりも味方が多い方がやりやすいことは明らかだ
だから、今は私はすべての人間関係を「仕事」だと思っている
思っている、というよりも気がつけばそう思っていた
仕事では自分の役割がある
その仕事をなるべくスムーズにこなすには?
自分の役割を考えて、それをこなすためのキャラクターを演じている
ボスならばボスらしく
新人なら新人らしく
看護師なら看護師らしく
どこかの受付なら、受付として言葉を使い、振る舞う
そして、それぞれのタスクをこなす
じゃあ、家族には?
例えば女性なら、娘として生まれ、成長し、誰かの妻となり母となる
その時の役割がある
常に“自分”で無理なくどこででも、誰とでもいれる人もいるだろう
私はそちらではなく、どこか演じている自分が常にいた
だから、人と関わるときは「演じることを選ぶ」という選択しかなかった
けれど、それに気づいたら、もうそれを意識してして演じる方が楽になった
だからこそ、自分ひとりでいる時間を大事にしている
それだからこそ、オンとオフの切り替えがしやすいとも言える
ただ、生きていく中で人との関わりが不可欠なこともわかっている
ひとりでは生きていけない
ありきたりだが、常に誰かに助けられて生きている
そして、その人との関わりによって成長も助けられている
その関わりがあって、ひとりでいる自分と人といる自分が違うことを気づかされた
その関わりがあるからこそ、自分ひとりでいる時間がより楽しいものとなった
人との関わり方、誰と関わるか、どのくらい関わるか
それを選択することはできる
それを選択することによって、人との関わりを煩わしいものではなく、有益なものにすることができる
自分にとって、重荷ではなく、成長に必要なもの
喜びをみつけるためにきっかけを与えて与えてもらえるかもしれない
それがきっかけだけでなく、生涯のものとなるかもしれない
そして、人との関わり方は人それぞれでいい
人と関わる時間の割合も、授業や仕事の時間のように決められていない
時にはあるコミュニティに関わることを強く勧めてくる人もいる
友達が多い方が正義だと唱える人もいる
ひとりでいることは一部の寂しい人間がすることだと声高にいう人もいる
いろんな人がいるのだと思っておこう
そして、私は私の道を行けばいい
ただ、密かにそう思っておけばいい
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