【自己肯定感】自分に満足している?自分に自信がある?自己肯定感を上げるには?

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自分に満足している?

自分自身に満足をしたことがあるだろうか?

鏡を見て、今日の自分も最高だ!と思っている人は何人いるだろう?
中には鏡に映る自分を見て、うっとりする人もいるだろう

けれど、ごく少数派だと思うし、中には自分自身に暗示をかけるため、それを習慣化させている人もいるだろう

そういう私も、鏡を見るのはあまり得意ではない(好きではない)

小さい頃から、洗面所に行ってもあまり鏡を見ることはなかった

今もそれは変わらない

なぜか?
自分に自信がないからだ

鏡を見るたびに、自分への余計なコンプレックスが増幅してしまうのを避けるため

なるべく鏡を見る機会を減らしている

意識していたわけではないが、洗面所に写る自分と目を合わせないようにしている自分にはうすうす気付いてはいた

そういうことをしているということは、到底自分への満足感は高いとは言えない

その行為は結局外面だけでなく、自分自身への内面へも通じている

内面や頭脳に何か確固とした自信がるならば、自分の外面がどうであろうと気にしないだろう

日本人には謙遜するのが美徳とする文化があった

少なくとも、昭和生まれの私には確実にその文化が根付いていた

謙遜ともいうが、日本人は当たり前に備えているパーソナリティーのひとつであろう

海外に出るまで、それが当たり前なのだと思っていた

褒められても謙遜するのが当たり前

控えめに否定するのが当たり前

自己主張などするものではない

けれど、それでは海外では色んなことに飲まれてしまうということを少しずつ学んでいった

中国で日本企業の方々によく聞いた話だが、中国人は日本語をろくに話せなくても“こんにちは”などいくつか単語を知っていれば

「話せる」と断言する

海外では留学している学校内であっても、自分で自分の意思や意見などを主張していかなくては、先方の都合の良いようにくるまれていく

日本人からしてみれば、お金を払っているのだから、契約通りの内容が当たり前に遂行されるだろうと思いがちだが、きっちり確認しておかないとそうは進まないことも多々ある

それは中国だから特別だろうという意見もあるかもしれないが、アメリカでも同様であった

アメリカではもっと高い授業料を払っているのだが、アメリカ人もとにかく言い訳が多く、あまり意見は聞いてくれないことが多い

日本人は主張をしないので、そうなってしまうのかもしれない

意思を告げないということは、こちらの都合で良いわけね?
と思われても実際には仕方がない

なぜ、私たちは自分の意思を告げることが下手なのだろう?

そこも自分の自信のなさに繋がっていくのかもしれない

よく自信に満ちた人の顔や出立は違うという

自分をまだまだと思い続けていると、自分に満足をすることもないだろう

今の自分を否定していることにもなるのだから

慢心してしまい、謙虚さを忘れてしまうのもいかがなものかとは思うが、今の自分を片時も肯定することができなければ一生満足とは程遠い

それでは、自分に満足することするどころか、自信がなくなり、人前で話すことさえ避けてしまう

本当に自分に満足できるところはないのだろうか?

ただ否定をやめる

1年前の自分より、今の自分は何か成長している

毎日同じことの繰り返しだから、何も変わっていない

歳をとっただけ

意識しなければ、自分を肯定するどころか、知らず知らずのうちに自分で自分を卑下してしまっている

自己肯定感を上げるなど大それたことはできそうになくても、せめて自分自身を否定することだけでもやめることはできないだろうか?

毎日同じことの繰り返しだけれども、それができる自分も結構頑張っている

日々鏡を見ると、昨日よりも年老いた気がする

それでも、若い時よりは垢抜けてきたかもしれない

自分へ満足感を出すことは難しくても、否定をやめて肯定していくことは少し容易になる

そもそも肯定の意味とは、

同意すること

その通りだと判断し、認めること

などの意味がある

無理に自分にとってプラスの判断を下さなくても、フラットな状態で同意するくらいなら何かできることはあるだろう

自分が一番自分のことを知っている

人間には承認欲求というものが備わっている

誰かに褒められたり、評価をされると嬉しい

“褒められると伸びる”という人もいるだろう

けれど、それを常に追い求めていると“誰か”がいないと自分を肯定することができなくなってしまう
その上、その誰かに認められない限り、自分を否定することにもなりかねない

誰かに褒められたり認められるということは、その誰かの判断基準に基づいている

それは社会的な基準や平均に基づいているかもしれないし、もしかしたらただその人個人の評価基準に基づくことかもしれない

けれど、自分自身の努力や考えをすべて知っている第3者など存在しない

全てを知っているのは自分自身だけだ

だから、まずは自分で自分を振り返り同意する

どんな些細なことでもいい

私は誰かより美人じゃない

かわいくない

でも、それがなんだと言うんだろう?

人それぞれ好みがあり、テレビやSNSで人気のある全ての人を“素敵!”と思うだろうか?

ちなみに私は最近やっとエイジングケアに目覚め始めた

50歳を過ぎてのエイジングケアなので遅すぎる

けれど、ケアをし出すと私しにしかわからない微量な肌の違いを私だけが実感している

そんな些細なことでも、私にとっては何もしていない時よりも少し自分に自信が出てきた

そんな些細なことだけでなく、時には日本人の謙虚さを忘れて、もっと大げさに自分の心の中で自分を褒めても誰にも迷惑をかけない

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