生きていればいろんなことが起こる
特に目立った行動はしていない
朝起きて、ご飯食べて、仕事して、ちょっとくつろいで、寝る
けれど、日々いろんなことが起きる
仕事では、朝会社に行ったら体勢がガラッと変わっていて、これまでの努力が吹っ飛び、
その上、大きなプロジェクトの話が意味のわからない理由で頓挫し、
仕事以外でも、なぜか意味もわからず突然家族から怒られ、
道を歩いていたらよく知りもしない人から言いがかりをつけ、
買い物しようと思って歩いていたら、ひったくりにあったり・・・・
とにかく散々な目に遭うことが時にはある
“え?私、なんかしたっけ?”
と、時にどこかに問いたくなる時もある
目立つような善行もしてはいないが、結構真面目に生きている
それなのに・・・・
“理不尽すぎる”
そんなふうに思ってしまうこともある
時には、眠れない夜もある
泣きたい時もある
泣いても泣いても、気持ちが晴れない時もある
そんなふうに思い始めると、もう人生を棒に振りたくもなってくる
思考回路がバグり出して、どうしようもなくなってしまう
お酒を飲んでも、醒めるともとどおり
抗うつ剤を飲んで脳の回路を麻痺させても結局現実は変わらない
副作用の分だけ、心だけでなく体まで辛さが増す
だから、私は最終的に自分自身で再度自分の脳を“バグらせる”
「神はやり損なうことはない
結局は何かがある
もうちょっと、もうちょっとだけ待ってみよう」
そんな簡単にいくことではないが、なぜだかほんの少し、気持ちが楽になる
真っ暗闇に見出した、ほんのかけらにも満たないほどの光、希望
以前、私にもお酒に溺れそうになったことや、抗うつ剤に頼りたくなったことがある
その度に、落ち込み、落ち込み、もう立ち直れないと思いながら、どこかに微かな光を見出すことによって立ち直った
私の場合、立ち直ったきっかけはお酒でも、抗うつ剤でも、カウンセリングでもなかった
それが効果がないとは言わない
人によって、見出し方は様々だと思う
けれど、結局は自分の好きなことや向いていることかもしれない
友人や家族に囲まれているのが心地よい人はそれが支えになることもあるだろう
スポーツが好きな人は没頭しているうちに、何かを見出すかもしれない
私は本が好きなので、偶然手に取った本から言葉を拾うことが多い
落ち込み過ぎている時は、本すら読む気がしないのだが、それでもなぜか以前に買ってずっと読んでいなかった本であったり、ネット上で偶然無料で読むことができた本であったり、いろんなタイミングが不意に訪れる
そのまま現実の日々にまぎれてしまうときが多い
けれど、長い目で振り返ると結局うまく機能している
20代の頃は経験が少ないせいか、そんなことを唱える余裕はなかった
だからお酒にも頼った
カウンセリングを受けて、抗うつ剤も試した
結局効果はなかった
最終的に立ち直らせてくれたのは、でたらめかもしれないつぶやきだった
“もしかしたらなんとかなるかも”
ほんのちょっとの希望の兆しから始まり、それが少しずつ膨らんでいった
そして、また現実に挑んでいくことができるようになった
今は経験を積んだせいか、苦しいながらも早い段階で唱えることができるようになった
“いや、きっと何かあるはず
神はやり損なうことはないのだから”
振り返ると、些細なことでもこれまでの人生の中から証拠を探し出すことができるようになった
ちなみに、私はクリスチャンでも、何かの宗教に傾倒しているなどということもない
それでも、自分自身にだけ頼るのは心許ない
その上、自分に負担が大きすぎて空回りしてしまう
焦って、自信をなくして、もっとミスを犯しかねない
神は・・・
と唱えずとも、自分に何度でもつぶやく
「神はやり損なうことはない
だって、理由はなくとも、神は神だし
きっと何かある
いや、何かあるに違いない
それに、何とかなるかもしれないし
きっと何とかなるよ」
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