アメリカのクリスマス、日本のクリスマス
日本ではクリスマスは恋人や友人たちと過ごすというのが定番になっている
アメリカに住んでいた頃、クリスマスは家族で過ごすといのが定番ということを知った
アメリカはクリスチャンが多いの国ではあるが、実際には敬虔なクリスチャンは多くはない
宗教はと聞くと、クリスチャンだよと答える人はおおいけれど、日曜には欠かさず教会へ行くような敬虔なクリスチャンはごく一部の人である
日本人がお家の宗派は?宗教は?と聞かれると
多分仏教徒なのかな?
神道かな?
というのとよく似ているようにも思える
私が留学時代に住んでいたカリフォルニアでは、クリスマス当日はスタバですら休業日となる店舗がほとんどであった
まるで以前の日本でも元旦御日は全くお店が開いていなかった時のように、普段賑やかな街が街中停電なのかと思うほど、ひっそりとしている
実際にアメリカ人は友人と約束をしたとしても、まずはファミリーディナーをして、それが終わってから合流という人が多くいた
日本でのクリスマスは年末商戦の始まり
日本でのクリスマスでは、飲食店やデパートなど、ここぞとばかりに年末商戦が始まる
クリスマスもバレンタインも、結局はそれを仕掛けたマーケティング戦略が定着したもの
けれど、実際にはそれは日本の経済の助けにもなっているし、街も華やかになり、道行く人々も楽しそうで何よりだ
ただそんな中、1人で過ごすには寂しい思いをする時期になってしまった
クリスマスや年越しをひとりで過ごさないために、恋人を作るだの何だの言われている時期があったが、今はどうなのだろう?
SNSでは楽しい時間を切り取って掲載している人が多い
けれど、どこまでその人が幸せを感じているかは見る側は知る由もない
ただ言えることは、無理にそんなSNSをフォローする必要はない
ひとりで過ごして楽しんでいる人もSNS上にはたくさんいるし、そもそもSNSも必要不可欠なものではない
それに、クリスマスであろうが何であろうが、それは暦上のものであって、それに必ずしも準じなければならないわけではない
暦上平日であろうが、祝日であろうが通常より街に人は溢れる
そんな時に人混みに紛れて無理に出歩くこともない
それに備えて、お籠りの準備をしておけば良いのだ
けれど、実際に街を見渡すとこの時期だからこそ働いている人もたくさんいる
それに、1人を避けるためだけに無理矢理パーティーや恋人候補を作ったとして、本当にそれは自分にとって有益なのだろうか?
そういう私も、実際にそんなことを試みた時期もあったが、心から楽しんだ記憶は残っていない
クリスマスであっても、何であっても貴重な自分の1日
その1日を使って、自分が本当にしたいことは何なのだろう?
忙しい毎日でただゆっくり休息したいだけかもしれない
クリスマス商戦に乗っかったセール商品で散財したいのかもしれない
せっかくだから、本当に会いたかった人に連絡してもいいかもしれない
アメリカのように家族と時間を過ごすのもいいかもしれない
自分の時間なのだから、自分のために時間を使おう
と、ここまでいろんなことを書いてみたけれども、それでも一人でいたら寂しいと思う気持ちを拭い去れない時もある
私のように、どんなに一人時間が大切で、それがないと社会との関わりが保てないような人間でも、そう思う気持ちはどこかにある
けれど、今自分の中にある定義、例えば
「クリスマスは誰かと過ごすべきである」
「年越しは誰かと初詣に行くべきである」
“常識”は各々によって違うと思う
けれど、根付いてしまっている考え方を少し変えると、その寂しさのせめて数パーセントだけでも和らげば、気持ちが楽になるかもしれない
ただの負け惜しみかもしれない
それでもいい
自分がその負け惜しみで楽になるのなら
誰に迷惑をかけるわけでもない
ただ、自分の中であれこれ考えて、居心地の良い考え方を選ぶだけ
“誰か”は私を幸せにはしてくれないのだから
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