私たちは「毎日生きてる」
友人からのメッセージで
「俺は今珊瑚のガイドと毎日サーフィン三昧」
「毎日生きてるって感じる」
というのがきた
とある仕事のトレーニングで一緒になり、それ以来トレーニングを受けている様子もなかったため、どうしているのかと思っていた
その友人はかなり自然の多いところで暮らしており、シーズンによって仕事にムラはあるが、けれど彼はやりたいことでお金を稼ぎ、また好きなことをして毎日生きていると実感している
そういえばこれまで、「生きてるって感じる」とそうはっきりと言葉にしている人と出会ったことがなかったなと気がついた
そういう自分自身も、その言葉を自分自身のこととして発したことがないうちの一人だ
例えば仕事を楽しいと感じる時は幾度とあっても、自分がその瞬間をめいいっぱい生きていると感じたことはなかったかもしれない
その瞬間を感じるために何をするか
”生きてると感じる”
その瞬間、それは、どんな感じだろう
けれど、「今を生きる」ために私もこれまでいろんなことに挑戦してみた
行きたかった国へ行き、しばらく暮らしてみたり
仕事を辞めて、毎日思いついたことをしてみたり
仕事で夢中になることはあっても、その瞬間に入り込み、幸せを感じるというのは難しそうだったので、仕事以外のことをいくつかも挑戦してみた
けれど、仕事をせず毎日過ごすのは私にとっては結構難しかった
元々仕事をするということは嫌いではない方だし、ましてや毎日何をするかを考える方が骨が折れる
仕事は毎日するべきことがあり、目標があり、必然とするべきタスクが出てくるので、没頭しやすい
しかも脳も使うし、体も使う
格好のエクササイズだ
その上お金も手に入るなんて最高だ
だから、私には仕事は不可欠だ
仕事と生きがいは別物なのか
”ならば仕事もそれ以外のことも充実させていこう”
結局同じ考えに行きつき、堂々巡りを繰り返すこととなる
仕事は毎日することで、1日の半分近くをしめ、また人生の多くに仕事を費やす
そして、仕事は私たちの人生に不可欠なものだ
ただ、本当にそうなのか?
そもそも本当に仕事は「仕事」なのか?
楽しいだけの仕事は成り立たないなのか?
その費やした分の時間と労力に見合う対価を求めることは難しいことなのか?
それは本当に難しいことなのか?
昔から、「楽な仕事などない」
世間でもそう言われているし、私自身もそう思い込んでいた
楽ではないかもしれない、けれどそれを忘れるくらい没頭できる仕事もあるだろう
他人から見たら大変なことでも、本人は好きでしているのでなんてこともない仕事だってあるだろう
しかも、楽な仕事はないと言ったのはそもそも誰なのだ?
私の父か?(確かに言っていた)
ただ、私の父だけではなく、多くの「大人」たちが今も言い続けているだろう
「楽な仕事などない」
「だから、好きでもないし、したくもないが、今日も給料を得るために仕事へいく」
そして、その私も”大人”のうちの一人である
けれど私は「毎日生きてるって感じる」
そう感じて毎日を生きていきたい
それがどう言ったものであるか、私も感じてみたい
何の根拠もないがそう言った考えもあると気づいた今、見つけることができるような気がしている
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