言わなければバレない「友達いません」
友達とは何だろう?
私は友達がいない
以前はいたとも思う
例えば、一緒に食事をしたり、お茶をしたり・・・・そういったことをする人間関係を「友達」というならば、いた
相談できる人?そういった人も友達と呼ぶのか?ならばいたと思う
けれど、今はどちらもいない
いけないことか?
私はそうは思わない
どちらかというと、無理にそのような人間関係をしようとしている方が今はいけないこと、自分にとっては必要のないことのように思える
けれど、誰もそんなことは気にしない
仕事をしても、どこへいても、私は人並みの社交性は持っているつもりなので特に問題を感じたことはない
自分自身のことは自分が一番知っている
以前はいろんな人間関係を持っていた
友人と呼んでいた人たちと食事をしたり、お茶をしたり、定期的に会っている人たちもいた
いろんな相談をしたり、されたり
笑って、泣いて、裏切られたり、傷つけられたこともあるし、傷つけたこともある
そういったことが嫌をつくらないのではない
人は自分を含め、人間たるもの完璧ではないのでいろんなことがあることくらいはわかっているつもりである
ただ歳を重ねるごとに、自分に合っていることが何かというのがわかったきただけかもしれない
何か悩み事があったとして、以前なら
「誰かに話してみようか・・・」
と、誰かに頼っていたが、もう少し自分の中で問うてみようと思うようになった
人の意見を聞くのが嫌になったわけではない
今でも本やインターネットを通じて、いろんな意見を探っている
ただ、それを吟味するのは自分自身でありたいと思うようになっただけだ
自分自身に正直でいるだけ
じゃあ、以前は?
もしかしたら、歳を重ねたからそう思うようになったのではないかもしれない
以前は若いがゆえに、友達がいないということは恥ずべきこと、もしくは友達がいないのは自分の人間性に欠陥があるからと考えていたからかもしれない
けれど今は
「自分自身に嘘をつく方がしんどい(関西弁です)・・・」
自分自身であるには、私にとってはひとりでいる方が容易で心地よい
もちろん今でも仕事場などで断れない誘いなどがあれば、何とか頑張って参加する
けれど、終わるとホッとする
その時は私なりに楽しむように努め、お互いの時間を有意義なものにしたいと考えているのも本当である
けれど、自分にとって向いているかいないかでいうと、常に人といることは向いていない
今のところ困ったことも特にない
LINEに時間を取られることもなくなり、自分の好きなことをする時間が増えた
もちろん、余計な気遣いをする必要も無くなった
休憩時間やランチはもともと一人でする方が好きだったので、以前から一人で休憩を取れる仕事についていた
夜は出かけるのは好きではないので、できれば家でまったりしたい
それに今はデリバリーなどで、外食しなければ食べられないというものも減ってきた
旅行や外出、ショッピングもできれば一人でマイペースで行きたい
興味のないショッピングや話題に頑張って付き合うのは正直もう遠慮したいと思っていた
あげるとキリがなく、友達がいないことに困ってはいない
ちなみに、交際費も減るのでかなり節約にもなるし、無駄な見栄を張る必要もないので出費も減る
「友達がいない」ことは性分
私はひとりでいるのがもとより好きだから問題はないのかもしれない
小さい頃から一人で絵を描いたり本を読んでいる時間が長かった
そんなことより人といるが好き!という人はいろんな友人を作れば良いと思う
けれど、もし友達がいない、と気にしている人がいるのなら
あなただけではない
恥じることでもない
たまたまひとりが性分に会っているだけ
ならば、とことんひとりを楽しんでいこう
と陰ながら呟いている
きっと、直接言う機会はないだろうから・・・・
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