「ひとり時間=自分を責める時間」ではない
もしかしたら、ひとりでいることを避けてはいないだろうか?
ひとりでいると不安になる
そんなふうに思ってしまってはいないだろうか?
なぜなら、ひとりでいると、とかくいろんなことを考えてしまう
将来のこと
仕事のこと
今すぐではない心配事まで
とにかくいろんなことを頭に巡らせてしまう
不安に思う気持ちに押しつぶされそうになることもある
けれど、冷静になって気づくと自分が生み出した不安ばかりではない場合もある
親に言われたこと
世間一般の常識との比較
そして、友人、もしくはSNSなどで見た他人との比較で生じた思い
そして、もちろんお金についても思う
もっとお金が欲しい
お金があれば、私もこんな洋服が買える
こんなマンションに住める
嫌いな仕事を辞めることができる
“じゃあ今の私ってどうなんだ?”
あの時こうしていれば・・・・
自分もあんな人みたいだったら・・・
過去への後悔、自分を責める堂々巡りの繰り返し
そのまま考え続けると、そのネガティブな考えに囚われて動けなくなってしまう
人相が変わってきたり
文字どおり動けなくなって、外に出れなくなったり
ひとりでいるのは、自分にとってマイナスなのか?
常に人に囲まれて、気を紛らわせていれば解決するのか?
もし、ひとりでいるのを避けるため、ただ時間を埋めるために誰かといるならば、何も解決しないだろう
「ひとりの時間=寂しい時間」ではない
もし、ひとりでいるならば
ひとりでいる時間が多いならばこそ
自分自身を取り戻す時間に使って欲しい
友人や親でも、誰かといると
少なからず誰かの影響を受けてしまう
ひとりでいても今はSNSや広告宣伝の作り出した価値観を何かしらで刷り込まれている
誰かといるのが悪いわけではない
SNSなどの情報が悪いわけではない
ただ、それが本当に自分の価値観に合っていることなのか?
影響のあるインフルエンサーが言うことがすべて正しいのか?
自分自身を見つめる時間がなくなると、その基準がわからなくなってしまう
ひとりの時間に少し見つめ直して欲しい
これまでの情報や考えは本当に自分自身を幸せにする指標になっているのか?
脳は何度も何度も繰り返し見ていると、それが「常識」なのだと刷り込む
そうでない自分を不快に思ってしまう
これまでの常識を疑ってみる
「常識=幸せの指標」ではない
私は日本人だからか、とかく何かに追われていないと落ち着かない気持ちが生じることに最近気がついた
たとえば、仕事やその他なんでもいい
何か忙しくしてないと落ち着かない
せっかくの休みに一人でのんびりしていても、なんだか申し訳ないような、落ち着かない気持ちになってしまうことがある
何もしない人間には価値がないというような、言葉にされない常識のような観念が自分の中に根付いていたようだ
けれど、それは私だけではないと思う
以前日本で暮らしたことがる中国人の女性が言っていた
「日本ではいつも忙しくて落ち着かない」
まるで、忙しく何かをしていないと犯罪を犯しているかのような錯覚さえ覚える時もある
日本は世界的に見ても祝日が多い国だが、結局はそうでもしないと私たちは休めない
そして休んでいても、どこか仕事のことや明日のこと、この先のこと、自分のこと、家族のこと
いろんなことを休まずに考えている
日本はとてもよい国だと思ってはいるが、国民満足度が低いのはそのせいかもしれない
けれど、ひとりっきりでいたならば、家族の目も気にせず、思いっきり好きなことができる
ただダラダラと休むこともできるし、好きなことに没頭することもできる
人の目を気にして生きるように躾けられた日本人にとっては、家族の視線でさえ気になる
そうして、休んで休んで休まないと、私は自分自身を取り戻せない
自分が好きなこと
自分がしたかったこと
自分が今幸せなのか
何をしたくて何をしたくないのか
12時だからお昼ご飯を食べるのか?
それとも自分が食べたいと思って食べているのか?
言い過ぎかもしれないが、そんな些細なことでさえ、麻痺しているかもしれない
結局のところ、自分に自分が正直になる
ベールに包まれてしまっている自分の気持ちを探っていく
それだけでもいくつか発見があるかもしれない
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